最高裁判所第一小法廷 平成5年(オ)789号 判決 1998年4月30日
上告人
福島久美彦
右訴訟代理人弁護士
辰巳孝雄
被上告人
亡山口光男訴訟継続人
山口タツ子
外三名
右三名訴訟代理人弁護士
吉田孝夫
主文
原判決中上告人の敗訴部分を破棄する。
前項の部分につき、被上告人らの控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人らの負担とする。
理由
上告代理人辰巳孝雄の上告理由第一点について
一 本件は、承継前被上告人山口光男が上告人に対し、貸金及び準消費貸借金を請求した訴訟である。原審の適法に確定した事実関係の概要と訴訟の経過は、次のとおりである。
1 上告人は、光男から、第一審判決別紙計算書1(以下「計算書1」という。)、同計算書5(以下「計算書5」という。)及び同計算書4(以下「計算書4」という。)記載のとおり金員を借り受け、それぞれ月六分の割合による利息を天引きされた金額を受領した。
2 上告人が計算書1の貸金債権(以下「貸金債権(一)」という。)の担保として交付した約束手形(以下「手形(一)」という。)、計算書5の貸金債権(以下「貸金債権(二)」という。)の担保として交付した約束手形(以下「手形(二)」という。)及び計算書4の貸金債権(以下「貸金債権(三)」という。)の担保として交付した約束手形(以下「手形(三)」という。)がいずれも不渡りとなり、上告人と光男は、手形(一)の債権を目的とする準消費貸借契約(以下、同契約に基づく債権を「準消費貸借金債権(一)」という。)及び手形(二)の債権を目的とする準消費貸借契約(以下、同契約に基づく債権を「準消費貸借金債権(二)」という。)を締結した。光男が貸金債権(一)(二)(三)について天引きした利息のうち利息制限法所定の制限利率による利息を超過した額を各貸金元本に充当した残額は、貸金債権(一)が一四二万四四八九円、貸金債権(二)が九四万七一六七円、貸金債権(三)が九五万〇三〇九円となる。したがって、準消費貸借金債権(一)(二)は、貸金債権(一)(二)の右金額の限度で効力を有することになる。
3 各計算書①ないしの各貸金債権(計算書5⑩を除く。)について天引きされた利息は、利息制限法所定の制限利率による利息を超過しており、上告人は、光男に対し、右超過利息額と同額の不当利得返還請求債権を取得した。その額は、計算書1に係るもの(以下「不当利得返還請求債権(一)」という。)が一六二万六九五三円、計算書5に係るもの(以下「不当利得返還請求債権(二)」という。)が九七万七四二六円、計算書4に係るもの(以下「不当利得返還請求債権(三)」という。)が一〇六万一一七三円である。
4 光男は、右準消費貸借金債権(一)(二)及び原判決の引用する第一審判決請求原因1の貸金債権を請求し、これに対し、上告人は、右債権の成立を争うとともに、平成四年四月一三日の第一審第一七回口頭弁論期日において、不当利得返還請求債権(一)を自働債権として準消費貸借金債権(一)と、不当利得返還請求債権(二)を自働債権として準消費貸借金債権(二)と、いずれも対当額で相殺する旨の訴訟上の相殺の意思表示をした(抗弁)。光男は、右期日において、手形(三)の債権を自働債権として不当利得返還請求債権(一)(二)のうち発生時期の早いものから順次対当額で相殺する旨の訴訟上の相殺の意思表示をした(再抗弁)。上告人は、平成五年二月一日の原審第四回口頭弁論期日において、不当利得返還請求債権(三)を自働債権として手形(三)の債権と対当額で相殺する旨の訴訟上の相殺の意思表示をした(再々抗弁)。
二 原審は、次のように判示して、光男の請求を一部認容した。
1 原判決の引用する第一審判決請求原因1の貸金の事実は認められない。
2 上告人による不当利得返還請求債権(一)(二)を自働債権とする相殺の意思表示(抗弁)と、光男による手形(三)の債権を自働債権とする相殺の意思表示(再抗弁)とは、同一の口頭弁論期日における各準備書面の陳述によってされているが、光男の準備書面の陳述が時間的に早くされたから、光男による右相殺の意思表示が先に効力を生じたと解すべきである。
3 手形(三)の債権を自働債権として不当利得返還請求債権(一)(二)の発生時期の早いものと順次対当額で相殺すると、不当利得返還請求債権(一)については計算書1①ないし⑨の各超過支払額欄記載の金額(ただし、⑨については、四九〇九円の限度)の合計六一万八二四五円の限度で、不当利得返還請求債権(二)については計算書5①ないし⑧の各超過支払額欄記載の金額の合計三八万一七五五円の限度で、それぞれ相殺の効力が生ずる。その結果、不当利得返還請求債権(一)の残額は一〇〇万八七〇八円、不当利得返還請求債権(二)の残額は五九万五六七一円となる。
4 不当利得返還請求債権(三)を自働債権として手形(三)の債権を受働債権とする上告人の相殺の意思表示(再々抗弁)は、手形(三)の債権を自働債権とし不当利得返還請求債権(一)(二)を受働債権とする光男の相殺の意思表示(再抗弁)により手形(三)の債権が既に消滅したため、その効果が発生しない。
5 不当利得返還請求債権(一)の残額一〇〇万八七〇八円を自働債権として準消費貸借金債権(一)と対当額で相殺すると、同債権は元本四三万六七九七円及びこれに対する遅延損害金の範囲で残存し、不当利得返還請求債権(二)の残額五九万五六七一円を自働債権として準消費貸借金債権(二)と対当額で相殺すると、同債権は元本三六万五四六九円及びこれに対する遅延損害金の範囲で残存するから、これら残存する債権の範囲において本件請求は理由がある。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 被告による訴訟上の相殺の抗弁に対し原告が訴訟上の相殺を再抗弁として主張することは、不適法として許されないものと解するのが相当である。けだし、(一) 訴訟外において相殺の意思表示がされた場合には、相殺の要件を満たしている限り、これにより確定的に相殺の効果が発生するから、これを再抗弁として主張することは妨げないが、訴訟上の相殺の意思表示は、相殺の意思表示がされたことにより確定的にその効果を生ずるものではなく、当該訴訟において裁判所により相殺の判断がされることを条件として実体法上の相殺の効果が生ずるものであるから、相殺の抗弁に対して更に相殺の再抗弁を主張することが許されるものとすると、仮定の上に仮定が積み重ねられて当事者間の法律関係を不安定にし、いたずらに審理の錯雑を招くことになって相当でなく、(二) 原告が訴訟物である債権以外の債権を被告に対して有するのであれば、訴えの追加的変更により右債権を当該訴訟において請求するか、又は別訴を提起することにより右債権を行使することが可能であり、仮に、右債権について消滅時効が完成しているような場合であっても、訴訟外において右債権を自働債権として相殺の意思表示をした上で、これを訴訟において主張することができるから、右債権による訴訟上の相殺の再抗弁を許さないこととしても格別不都合はなく、(三)また、民訴法一一四条二項(旧民訴法一九九条二項)の規定は判決の理由中の判断に既判力を生じさせる唯一の例外を定めたものであることにかんがみると、同条項の適用範囲を無制限に拡大することは相当でないと解されるからである。
2 これを本件についてみると、手形(三)の債権を自働債権として不当利得返還請求債権(一)(二)と相殺する再抗弁の主張は不適法であるから、不当利得返還請求債権(一)(二)全額を自働債権として相殺の効果が生じ、これにより準消費貸借金債権(一)(二)の全額が消滅すると解すべきであって、本件請求は理由がないというべきである。
四 したがって、これと異なる判断の下に、本件請求を一部認容すべきものとした原判決には、訴訟上の相殺に関する法令の解釈を誤った違法があり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人の敗訴部分は破棄を免れない。そして、以上に述べたところからすれば、本件請求は理由がなく、これを棄却した第一審判決は結論において正当であるから、被上告人らの控訴はこれを棄却すべきものである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)
上告代理人辰巳孝雄の上告理由
第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背乃至理由不備、審理不尽の違法がある。すなわち、
一、原審の認定したところによれば、第一七回口頭弁論において上告人がなした別表中の抗弁欄に記載の不当利得金返還請求債権を自働債権、本件貸金請求権中、別表中の請求欄1の(一)及び2の(一)乃至(四)記載の貸金債権を受働債権とする相殺の意思表示を抗弁として位置付けており、被上告人のなした別紙手形目録記載の約束手形債権を自働債権、上告人の有する不当利得返還請求債権を受働債権とする相殺の意思表示を再抗弁として位置づけている。
二、そうして、右各相殺の意思表示につき、再抗弁として認定した被上告人の相殺の意思表示の方が時間的に上告人の相殺の意思表示の方よりも早くなされたという理由により、まず、別表中の原判決の判断欄⑤の記載のとおり、被上告人のなした相殺の効力から先に判断すべきものであるとして、原判決の結論を導いている。
三、しかしながら、原審の右判断は、以下に述べる理由により民事訴訟法一九九条二項の解釈適用を誤った違法があるというべきである。すなわち、
1、対審による訴訟は、我国民事訴訟法の採用する弁論主義ないしは弁論主義の要請に基づく挙証責任の分配の原則から原告のなす攻撃及び被告のなす防御という形で展開される。
2、攻撃方法として、請求原因事実、それに対する防御方法として、請求原因事実の否認及び抗弁、更にそれに対する攻撃方法として、抗弁に対する否認及び再抗弁、さらには再抗弁に対する防御方法として、再抗弁事実の否認及び再々抗弁がある。
3、この点明文に直接の規定はないものの前記弁論主義の当然の要請として、もとより認められている制度であり、条文上もかかる原則は、民事訴訟法第一八六条(判決事項)、第一九一条(判決書)、第二四二条乃至第二四四条の各準備書面に関する規定等に具現している。
4、しかして、被告のなす抗弁とは、もとより原告の主張する請求原因事実にかかる権利の発生をさまたげ、またはいったん発生した権利を消滅せしめる効果を定める実体法規範の要件事実、すなわち権利障害事実、または権利滅却事実の主張と定義される。
5、これに対して原告のなす再抗弁とは、抗弁事実を認めつつそれに対する反対規定の要件事実の主張と定義される。従って、再抗弁は抗弁の存在を前提として存在するものと解されるのである。
6、ところで、被告のなす抗弁のうち、相殺の抗弁については、民事訴訟法上特別の規定が存する。すなわち、
(一)、同法第一九九条二項によれば、相殺のため主張した請求の成立又は不成立の判断は、相殺を以て対抗した額について判決の既判力が及ぶと規定されているのである。
(二)、本来、確定判決の既判力は訴訟物たる権利主張の判断についてのみ生じ、その前提問題の判断には生じないのが原則である。それでは何故に相殺の抗弁に例外規定を設けたのか。
(三)、けだし、相殺の抗弁は、原告の請求原因事実を認めつつ、実体上被告が原告に対して有する全く別個の請求権(それを訴訟物として別個に訴えを提起しようとすれば当然提起し得る債権)を主張して、給付命令の発布を抑止し、またはその量的減縮を意図しようとする性質の抗弁であるからである。すなわち、裁判上の相殺の主張は、本質的に裁判上の請求と何ら変わるところはないから相殺の抗弁の提出された訴訟において判断された相殺の効力に既判力を及ぼすのでなければ、別訴でむしかえしの請求がなされ、権利関係が複雑化することになり、また、別訟で前訴とは違った判断がなされる可能性もあり、そのようなことになっては法的安定性が著しく阻害されるからである。
(四)、従って、かかる規定の趣旨から原告が裁判において相殺の主張を再抗弁として提出することは訴訟法上許されないと解すべきである。けだし、右に見たように一九九条の規定は相殺の抗弁は被告の側の抗弁としてのみ提出されることを予定した規定であると解されること、裁判上の相殺の主張は裁判上の請求と本質的に同視されることから、原告がかかる相殺の主張をすれば、当該訴訟において、訴え提起の方式をとることなく独立の訴訟物があらたに追加されるのと同様の効果が発生すると解されること、かかる独立の訴訟物の追加については訴訟法上訴えの変更によるべきこととされており(同法二三二条)、この場合、新たに訴訟物の価額に見合う印紙を追貼せねばならないこととなるからである。
7、以上のことを前提に本件における原判決の相殺の抗弁及び相殺の再抗弁の判断について考える。
(一)、原判決の右に関する判断は別表中原判決の判断欄に記載のとおりである。その趣旨は、上告人の相殺の抗弁に基づく訴訟物たる貸金請求債権額の減額計算を二の次にして相殺の再抗弁に基づく上告人の不当利得返還請求債権の減額計算を先にしている。
(二)、しかし、これは、再抗弁としての判断ではない。本件の訴訟物が訴状請求の趣旨及び原因に記載された七口の貸金請求だけではなく、別紙手形目録記載の約束手形に基づく約束手形金請求債権もまた訴訟物として申立てられていたという判断と少しも変わらない。
(三)、けだし、前記6の(三)記載のとおり、相殺の抗弁は、実体上被告が原告に対して有する請求権を主張して給付命令の発布を抑止し、またはその量的減縮を意図しようとする性質の抗弁なのであるから、相殺の対象となる債権は原告が訴えとして申立てた債権、すなわち、訴訟物に対してでなければならない筈であるからである。従って、原判決が右約束手形金債権と上告人が被上告人に対して有している不当利得返還請求債権とをまず最初に相殺したという判断は、右約束手形金債権が訴訟物として申立てられていることを前提としなければ成り立たない判断であるからである。
(四)、しかるに、被上告人は右約束手形金債権について、請求の趣旨拡張の申立てもしておらず、印紙の追貼もしていない。原判決は、原告のなす裁判上の相殺を認め、事実上、訴え提起の方法をとらずして、本件約束手形金請求債権の存在を安易に認めたのである。ちなみに、右約束手形金債権は、これを仮に別訴において独立して請求していたならば、上告人が原審における再々抗弁において主張した如く既に時効によって消滅しており、その請求さえ認められない性質の債権であったのである。従って、原判決の判断は、既に消滅している債権が何ら申立てもしていない別訴の中で蘇るという誠に不合理な結果さえ招来しているのである。
(五)、上告人が前記6の(四)において、原告のなす裁判上の相殺の再抗弁は訴訟法上許されないと解されると指摘したのは正にこのような弊害が生ずることに基づくのである。
(六) なお、仮に、原判決の判断が上告審においても正当であると判断されれば、その結果、上告人が被上告人に対して有していた不当利得返還請求債権中、別表中の抗弁欄の抗弁1の(二)として記載の不当利得金返還請求債権(原判決の抗弁1の(二)にかかる不当利得返還請求債権)は別訴において新たに請求しなければならないということになる。しかし、かようなことになれば、相殺の抗弁に既判力が及ぶと規定することによって、右相殺にかかる債権の別訴における請求というむしかえしを予防しようとする民事訴訟法第一九九条二項の制度趣旨を没却させることになる。むしろ、別訴において請求すべき債権は右約束手形金債権の方である。
四、以上のとおり、被上告人の相殺の再抗弁を理由ありとする前提にたった原判決の判断は民事訴訟法第一九九条二項の解釈を誤った違背があり、かかる法令違背は、原判決の結果に重大な影響を及ぼすこと明らかである。また、仮に、法令違背がないとしても、原判決には、訴訟物に対して向けられた相殺の抗弁を何ら適式の申立てのなされていない訴訟物以外の債権によって、排斥できるとする理由が何ら摘示されていないのであるから、この点につき、原判決には理由不備乃至審理不尽の違法があるというべきであり、かかる違法は原判決の結果に重大な影響をおよぼすことが明らかである。
第二点 原判決には判決に影響を及ぼすことある理由不備乃至審理不尽の違法がある。
一、前記第一点において縷々述べたとおり、被上告人の別紙手形目録記載の約束手形にかかる手形金請求債権を自働債権とする相殺の再抗弁は認められるべきではない。仮に、相殺の再抗弁なるものが認められるとしても、弁論の全趣旨によって上告人が原審においてなした抗弁1の(二)の相殺によって右手形金債権は消滅したものというべきである。
二、原判決は本件における弁論全趣旨を正解せず、弁論の全趣旨から論理必然的に到達すべき結論に至っていない。すなわち、
1、まず、弁論の全趣旨とは、当事者の主張そのものの内容、ならびにその主張の態度は勿論、その他の場合における訴訟の情勢よりすれば、まさにある主張をなしもしくはある証拠を申し出る筈であるのにかかわらず、全くこれをなさず、もしくは時期に遅れてこれをなしたことをはじめとするおよそ口頭弁論における一切の積極消極の態度を指すと定義される(大審院昭和三年一〇月二〇日)。
2、本件における上告人(被告)の主張の趣旨は、上告人が被上告人に対して負担したことのある債務は、一〇〇万円二口、一五〇万円一口の合計金三五〇万円であること、右借り入れの際に被上告人は利息制限法所定の制限利息を超過する利息を天引きしたこと、従って、被上告人は超過利息全額を法律上の原因なくして不当に利得しているものであるから、かかる超過利息の合計金額たる不当利得返還請求権を自働債権、右三口の債務を受働債権として、これを対当額で相殺すれば、上告人が被上告人に対して支払うべき債務は存在しないこと、以上の点に尽きる。
3、ところが、被上告人(原告)が請求した本件貸金債権は、九七万円、九九万円、九八万円、九五万円、五五万円、六〇万円、四〇万円の七口あり、訴訟の当初から当事者双方の主張が金額において食い違っていた。
4、その後、被上告人は、右債権のうち、九五万円と五五万円は、上告人の主張する一五〇万円の貸金債務を更改し、右二口の債務とする旨準消費貸借契約を締結したこと、六〇万円と四〇万円は、上告人の主張する一〇〇万円の貸金債務を更改し、右二口の債務とする旨準消費貸借契約を締結した旨主張するに至った(第一審における被告第一準備書面二項)。
5、そこで、上告人としては、残る一〇〇万円の債務について、金額的に合致する債権がなかったことから、九八万円の債権に対して相殺の意思表示をなしたものである。
6、ところが、原判決は右九八万円の債権は不成立であると認定し、該認定を前提に、「請求原因1の(一)の貸金債権(右九八万円の貸金債権)が発生、存在せず、したがって、抗弁1の(二)の相殺(右一〇〇万円の債権に対する相殺)の余地がない本件のごとき場合についてまで再抗弁における(三)手形(別紙手形目録記載の約束手形)の約束手形金債権をもって、被控訴人(上告人)の抗弁1の(二)の不当利得金返還請求債権につき相殺を主張するものではないということができる」と判断している(原判決8丁表8乃至13行目)。
7、これに対して第一審の判断によれば、「被告の抗弁1の(二)は、別紙計算書2による不当利得金返還請求債権をもって請求原因1の(一)の貸金債務と相殺せんとするものであるが右抗弁は、別紙計算書2の番号の貸金が請求原因1(一)の貸金に該当することを前提としているので、その相殺は、別紙計算書2による不当利得金返還請求債権と同計算書の貸金債務との相殺を主張するものというべきであり、被告が平成四年四月一三日の本件口頭弁論において右相殺の意思表示をしたことは本件記録上明らかである。そうすると、別紙計算書4(別紙計算書2を計算しなおしたもの)の番号による貸金債務は前記のとおり元本が九五万〇三〇九円であるから、利息を考慮しても、右相殺によって消滅したというべきでありこれにより(三)手形の約束手形金債権もまた消滅したので、再抗弁は理由がない。」と判断している(第一審判決20丁表7行乃至20丁裏8行)。
8、右のように上告人のなした相殺の抗弁のうち、原判決のいう抗弁1の(二)と別紙手形目録記載の約束手形金債権の関係について、第一審判決と第二審判決では結論を全く異にしており、しかも、この判断の違いがそのまま第一審と第二審との判決結果の違いにあらわれている。つまり、右判断は判断に影響を及ぼす重大な事項に属する認定判断である。
9、しかるに、原判決はこのように第一審と結論が異なった理由を何一つ述べていない。これは、原判決が本件における弁論の全趣旨を正解していないためにかかる誤った結論が導かれたとしか考えられない。すなわち、
(一)、右請求原因1の(一)の九八万円の貸金債権が不成立である旨の認定は正しい。
この点においては、第一審も結論は同じである。
(二)、しかしながら、上告人が原審においてなした九八万円の貸金債権を受働債権とする相殺の主張(原判決にいう抗弁1の(二))の趣旨は、前記2記載の残る一〇〇万円(原判決別紙計算書2もしくは同計算書4にかかる借入債務一〇〇万円のこと)の債務を消滅させることを企図しているものである。
(三)、けだし、上告人は、訴訟の当初から上告人が被上告人に対して負担する債務は三口三五〇万円以外にない旨一貫して主張しているのであって、これが消滅をはからんとして、原判決別紙計算書1乃至3の計算をなし、該計算にかかる乙号証を提出して不当利得金返還請求債権額を算出しているからである。
(四)、すなわち、被上告人が訴訟の当初から別紙手形目録記載の約束手形にかかる手形金請求権を訴訟物として、請求していれば、上告人としては、当然、右手形金債権を抗弁1の(二)の相殺の受働債権として主張していた筈のものである。
(五)、しかも、被上告人が再抗弁として主張した別紙手形目録記載の約束手形は、証拠上、原判決別紙計算書2の番号の借入にかかる手形であることは明らかである(甲第一四号証、乙第二号証の一九)。
10、されば、原判決において、上告人がなした抗弁1の(二)の相殺が不成立の債権に向けられた債権であるとしても、右弁論の全趣旨によれば右抗弁1の(二)の相殺は別紙手形目録記載の約束手形金債権を受働債権としてなされたものと判断すべきは当然の帰結である。
三、従って、原判決は弁論の全趣旨から導かれるべき正当な結論を誤り、しかも右に示した第一審の判決とは全くちがった結論を導いた理由を具体的に付していないという審理不尽、理由不備の違法があり、かかる違法は判決に影響を与えること明らかである。
第三点 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について判断を遺脱した違法がある。すなわち、
一1、原判決における再々抗弁として、上告人は、別紙約束手形目録記載の約束手形金債権は裏書人に対してするものであるから、支払期日である昭和五七年四月二四日から一年を経過したことにより時効消滅した旨主張した。
2、ところが、原判決は右再々抗弁につき、全く判断していない。再抗弁の効力を認めることによって、右再々抗弁は理由なしとされるであろうか。そうであれば、その理由を原判決において摘示すべきであるのに、かかる理由も判示されていない。
3、前記第一点において縷々指摘したとおり、右約束手形金債権に基づく相殺の主張は裁判上の請求と同視し得る性質のものであり、前記第一点三項7の(一)乃至(四)において指摘したとおり現に、原判決は右約束手形金請求債権を訴訟物と同視している。はたして然らば、上告人の右再々抗弁は理由があると言わなければならない。そして、時効によって、右債権が消滅しておれば、再抗弁は全然理由のないものとなって、判決の結果は自ずから原判決の判断とは違った結論に達する。
4、従って、原判決には右のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について、判断を遺脱した違法がある。
二1、次に、上告人は原審において、次のとおり本件貸金債権につき、消滅時効の抗弁を提出した。すなわち、
(一)、上告人は蒟蒻の小売商を営む商人である。
(二)、従って、本件貸金債権は、弁済期日から五年を経過した時点、つまり
(1)、原判決請求原因1の一の金九八万円については、昭和六二年五月一〇日
(2)、原判決請求原因1の二の金九九万円については、昭和六二年五月一二日
(3)、原判決請求原因1の三の金九七万円については、昭和六二年五月一四日
(4)、原判決請求原因2の一の金九五万円については、昭和六二年五月一六日
(5)、原判決請求原因2の二の金五五万円については、昭和六二年五月一七日
(6)、原判決請求原因3の一の金六〇万円については、昭和六二年五月二二日
(7)、原判決請求原因3の二の金四〇万円については、昭和六二年五月二三日
において、既に商事時効によって消滅した。
2、ところが、原判決はかかる消滅時効の抗弁について、何らの判断もしていない。
3、本件貸金債権が時効によって消滅しているか否かの判断は被上告人の請求権の成否を決する重要な事実である。
4、本件債権が時効によって消滅していることが認定判断されれば、相殺の抗弁、再抗弁については、判断する必要もないからである。
5、従って、原判決における右消滅時効にかかる判断の遺脱は判決に重大な影響を及ぼすものである。
6、もっとも、原判決によれば、右消滅時効の抗弁は右1の(二)の(2)及び(3)の債権のみについて主張されていることになっている。しかしながら、右消滅時効の主張にかかる平成三年一二月一八日付準備書面は第一四回の口頭弁論において陳述されている。
7、従って、原判決には、上告人の主張した右抗弁を遺脱した違法も存する。
三、以上のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について判決を遺脱した違法がある。
以上いずれの点よりするも原判決は違法であり、破棄されるべきものである。